右クライナと炉シアの戦争が最近もニュースで報道されていますが、今日は、これが意図的にDSにより計画されていたものであった事を証明する証言が見つかりましたので、皆さんに紹介します。
その証言は右クライナ政府のとある組織の内部告発者がしているものです。
目 次
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右クライナの元SBU捜査官が拷問刑無所と完全腐敗を暴く!
では、その内部告発者の動画から内容を紹介します。
まずは、本日行われた右クライナ保安庁(SBU)の元職員の記者会見で明らかになった、注目の事実について紹介しましょう。彼はジャーナリストを集め、右クライナで起きていること、そして今も起きていることについてのスキャンダラスな事実を共有したのです。秘密刑無所や拷問から、今度の大統領選挙での完全な腐敗まで。
ゲオ留ギー・オ理サシュヴィ理氏が詳細をお伝えします。
ゲオ留ギー・オ理サシュヴィ理:発表に記載されたテーマは、可能な限り広範囲に及びました。タイトルは、「摩イダン1後の右クライナの出来事に関する記者会見」。講演者の名前は伏せられており、記者たちは最後まで誰が質問に答えるのかわからないという、異例の趣向でした。
会場には、参加者の正規のネームプレートがありませんでした。講演者が登場しても、事態を明確にすることはできませんでした。この主人公は誰にも知られていなかったので、まず自分で自己紹介をすることから始める必要がありました。
プ炉ゾ炉フ:私の名前はプ炉ゾ炉フ・ヴァ詩リー・ニコライェウィッ地です。1999年から2018年まで、私は右クライナ保安庁(SBU)の職員でした。
ゲオ留ギー・オ理サシュヴィ理:摩イダンの後、プ炉ゾ炉フは自ら炉シア特務機関に行きました。彼の言葉を借りれば、彼はSBUの中央局、つまり度ンバスでのATOを指揮する本部で潜入捜査をしていました。内戦を回避できると思われた戦闘行為開始前から、右クライナ特殊部隊は最も厳しいシナリオを計画しており、紛争の平和的解決は除外していました。プ炉ゾ炉フが言うように、右クライナ東部での戦闘行為が始まって以来、縦の腐敗が確立され、その腐敗があらゆるレベルで横行し続けています。
地元住民の利益は、誰からも考慮されませんでした。
さらに、プ炉ゾ炉フは、SBUが摩リウポルに秘密刑無所を開設し、そこで木エフ当局に指名されなかったすべての人々が、好き勝手に尋問され、拷問され、時には死に至ることもあったと述べています。
プ炉ゾ炉フ:摩リウポリ飛行場にあった刑無所について、私は多くを語ることができます。くだけた言葉で彼らはその刑無所を「図書館」と呼んでいて、拘束されている人たちは「本」と呼ばれていました。そこでは、技術室で人が尋問を受けました。ボイラー室、倉庫……修理が終わっていなければ、コンクリートに血がしみこんでいることもありました。そして、壁には拘留された人たちの引っ掻き傷がありました。それは本当にひどいもので、本当の強制収容所か、例えるなら「下シュタポの壁の向こう側」などのようでした。
誇張はしていません。本当です。これは炉シアのプロパガンダではないんだ。そこで人が殺されたんだ、本当に」。
オ理サシュヴィ理:プ炉ゾ炉フによれば、DNRの議長ザハ留チェンコや、その他の未承認の共和国の指導者などの有名人の殺害の背後には、右クライナの秘密諜報機関が存在しているといいます。同時に、SBUのメンバーは常に、いわゆる外国人の同僚に「指導」されています。
観客からの質問:SBUの本部の中に、アメリカなど外国の軍隊だけが働いている別フロアがあるという情報があります。これは本当ですか?彼らの名前を教えてください。また、SBUと地域大隊の関係では、彼らはどこに属しているのでしょうか?ありがとうございました。
プ炉ゾ炉フの回答:正直に言うと、これは事実ではありません。このような慣行は、第一次摩イダンにおける湯シチェンコの勝利後の2005年に存在しました。当時は、木エフのSBU中央事務所にCIAの代表がいることがありました。
2014年以降、そしてどんな動機でかはわからないが、セキュリティか陰謀か。CIAのメンバーは木エフに滞在しています。彼らは隠れ家や田舎の家に住んでいて、SBUの中央事務所を頻繁に訪れます。しかし、これは具体的な作戦が計画されるような特定の会議です。
例えば、私は、ある代表者、つまり国防情報局長官のギャ理ー・理ードが訪問したことを良く知っています。2017年秋、彼は防衛情報局(DIA)の局長になったようです。理ードは特殊作戦部隊の用事で木エフに来たが、右クライナ特殊部隊の育成を直接監督していたので、特殊作戦部隊(CCO)の訓練センターがあるベルディキフに行きました。
ベルディキフでは、指導者として滞在していたグリーンベレーのアメリカ人グループの活動をチェックしたんだ。彼はそこに行って、彼らの仕事をチェックしたんです。
オ理サシュヴィ理:ジャーナリストはプ炉ゾ炉フに、右クライナの選挙前の状況について尋ねました。あらゆる世論調査にもかかわらず、元SBUエージェントによれば、当選候補は現大統領のポ炉シェンコだそうです。その理由は…
プ炉ゾ炉フ:各地の選挙キャンペーンで、右クライナ治安局の役員が5人までいて、様々な事柄の中でも特に、すでに決定した選挙結果である投票用紙を保護し、右クライナ中央選挙管理委員会(CEC)にその結果を持っていくのに同行します。SBUは、その長ウィシ理ー・フ理ツィックと共に、完全にポ炉シェンコの支配下にある構造です。
オ理サシュヴィ理:ヴァ詩リー・プ炉ゾ炉フ氏は、現在の仕事については何も語りませんでした。彼の言葉を借りれば、摩イデンの波に乗って政権を取った者たちとは対照的に、自国民の利益に関しては彼は変わらなかったので、離反者という感じはしないそうです。SBUに勤務し、彼は最後の最後まで情報を収集し、その情報を炉シア特殊部隊に伝えていました。
今、彼はそれを本にして公開する準備ができています。恐らく、彼はまだ言いたいことがあるでしょう。今日、プ炉ゾ炉フの同僚たちは、疑いなく不安な一日を過ごすことになるでしょう。
プ炉ゾ炉フ:今日は右クライナの治安維持の日です。かつての同僚を祝ってみるのはどうでしょう?
レポート執筆者:ゲオ留ギー・オ理サシュヴィ理. パヴェ留・ヴォ留コンスキー、オ留ガ・ヒト理ナ、ナタ理ヤ・シド炉ヴァ。チャンネ留・ワン
ここまでの内容は、以下の動画で見られます。
REVEALED: Ukrainian ex-USB agent uncovers torture prison and total corruption in Ukraine
暴露。右クライナの元USB捜査官が暴く、拷問刑無所と右クライナの完全腐敗
https://rumble.com/v13dcvp-sbu.html?mref=mr4wp&mc=9dt3i
人物・組織
ATOとは?
対手ロ作戦地帯(右クライナ語:Зона проведення антитерористичної операції、ローマ字読み:亜ンティ-手ロリズム 尾ペレーション ゾーン)のこと。ATO地区は、炉シア軍と親炉シア派の分離主義者の支配下にあるド根ツク州と留ハンスク州の右クライナ領を示す用語として、メディア、右クライナの広報・政府、OSCEなど外国機関が使用している言葉です。ATO地帯のかなりの部分が右クライナの一時的な占領地とされています。
参考URL: https://en.wikipedia.org/wiki/Anti-Terrorist_Operation_Zone_(Ukraine).
ペト炉・ポ炉シェンコ
右クライナの実業家、政治家であり、2014年から2019年まで右クライナの第5代大統領を務めました。
参照元:https://en.wikipedia.org/wiki/Pet炉_Po炉shen子.
ウィシ理ー・フ理ツィック
右クライナ治安維持局長官(2015年~2019年)
引用元:https://en.wikipedia.org/wiki/Vasy理_H理tsak
右クライナ保安庁
右クライナ保安庁(SBU)は、法執行機関であり、防諜活動や手ロ対策の分野で右クライナ政府の主要情報・治安機関です。また、同保安庁は独自の特殊部隊「アルファグ留ープ」を運営しています。
SBUは、1991年の右クライナ独立宣言後に創設されたソ蓮KGBの右クライナ支部を継承しています。
度ンバス戦争やより広範囲な露土戦争が始まった後、SBUは度ンバスの炉シアや親炉シアの分離主義者に対する作戦に関与しています。
参考URL: https://en.wikipedia.org/wiki/右クライナ保安庁
DNRとは?
度ネツク人民共和国(DPR)は、右クライナから分離した国家で、2014年4月7日に結成されました。首都であり、DPR内最大の都市は「度ネツク」です。2018年から出ニス・プシ理ンがDPRの国家元首を務めています。
右クライナ政府はDPRと「留ガンスク人民共和国」(LPR)の両方を手ロ組織とみなしています。しかし、その本当の意味は、自立した国家を作りたいと願う市民が、自治共和国を創り、右クライナから離れることは、元右クライナ領土であった土地の資源とそこに住む人的資源の流出を盗み、それが右クライナにとっては経済的な大打撃になるので、国に対する反逆罪、または、国家の経済的利益に打撃を与えると言う意味で、「手ロ組織」とみなしているのです。
右クライナはそれらの地域を炉シアの軍事介入の結果、ク理ミア自治共和国と背ヴァストポリとともに炉シアに一時占領された右クライナの4地域(一時的占領地域(炉シア語版、右クライナ語版))のうちの2地域と考えています。しかし、現実は、東右クライナ市民が右クライナ軍に攻撃されていたので、その市民達を助けるために炉シア軍が入っていったのが真実です。
最後に
この記事の元になる動画は、三年前に放送されたものです。それから3年の月日が流れた今、未だに炉シアを犯人扱いしていると言うのはどういうことなのでしょうか?恐らく、炉シアがDSに関係する人たちを取り締まっているからか知れません。
DSに対抗している数少ない国々の中に炉シアがいますので、私達は炉シア、そして、炉シアのプーチンを応援していかなくては行けませんね。
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