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一年の穢れ(ケガレ)とは心にたまった垢(アカ)です。一年の垢を落として新年に良い運気をもたらす、禊(ミソギ)祓(ハライ)を、神話に基いて解説していきます。
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ミソギとハライの起源
ミソギ(禊)とハライ(祓)の起源は、
イザナギノミコト(男神)が、
黄泉国*1(よみのくに)のケガレ(穢れ)を祓うために、
阿波岐原(アワギハラ)で禊をしたことです。
[*1]黄泉国:日本神話における死者の世界のことです。古事記では「黄泉國(よみのくに、よもつくに)と表記されています。黄泉国には、出入り口「黄泉比良坂」(よもつひらさか)があり、これが葦原中国(あしはらのなかつくに/高天原と黄泉国の間にある世界、つまり、今の日本)とつながっているとされます。(参考URL: https://goo.gl/LwwGQv) |
この記事では『古事記』における、
阿波岐原(アワギハラ)の禊祓いの前の、
「黄泉国」の神話にもどって、
ミソギとハライの起源をさぐっていきます。
黄泉国(死の国)の神話は、
男神と女神との、まるで人間のように人間くさいやりとりが、
比喩(ひゆ)として描かれています。
イザナギノミコト(男神)と、
イザナミノミコト(女神)は、
それまでの、
抽象的な陽神(男神)と陰神(女神)から、
はっきりとした男女の性別に別れた神です。
お互いを異性と認識し、
愛情を確認し合って夫婦となるのが、
イザナギ・イザナミになります。
二神は夫婦の契りをして、次々と島や神を生んでいきます。
そして、最後に火の神を生んだことが原因で、
イザナミノミコトが死んでしまいます。
嘆き悲しんだイザナギノミコトは、
いとしい妻に会いたいと思って、
死の国(黄泉国)にいる妻を訪ねていきました。
自分の過ちに追いかけられる
真っ暗な御殿の戸の前で出迎えたイザナミノミコトに、
イザナギノミコトがこう言います…
─「いとしいわが妻よ。
私とあなたとで作った国はまだ作り終えていない。
だから現世に帰りなさい。」
イザナミノミコトは悔しがって、
─「なぜもっと早く来て下さらなかったのですか。
私はもう黄泉国の食べ物を食べてしまいました。
しかし、いとしいわが夫のあなたが、
わざわざ来てくださったのですから、
一緒に帰りたいと思います。
黄泉国の神と相談してきますので、お待ちください。
それまで、けっして私の姿を見ないでください。」
と言いました。
ところが、イザナギノミコトは待ちきれなくなって、
櫛の歯を一本折って火を灯し、 中を見てしまいます。
すると、イザナミノミコトの死体に、
ウジ虫がたかってゴロゴロと鳴り、
頭、胸、腹、陰部などに、八種類の雷神が出現していました。
イザナギノミコトはこれを見て驚き、恐れて逃げ帰りました。
イザナミノミコトは、
─「よくも私に恥をかかせた」
と言って怒り、
黄泉国の醜女(しこめ)をつかわして追いかけさせました。
この醜女は、
─「見ないで」
と言われたのに見てしまった・・
という、
禁忌(タブーのこと)を犯した、
イザナギ自身の醜い心をあらわしています。
みずからの醜い心(弱い心)に追いかけられるというわけです。
「捨てる」祓い
追いかけてきた醜女(しこめ)に、イザナギノミコトが、
髪につけていた黒い木のツルの輪をとって投げると、
ブドウの実がなりました。
それを醜女がとって食べている間にさらに逃げました。
しかし、まだ追いかけてくるので、今度は、
さしていた櫛の歯を折って投げました。
すると、竹の子がなりました。
これを醜女が引き抜いて食べている間に、
さらに遠くに逃げました。
イザナギは、
身につけていた物を投げ捨てることによって、
みずからのケガレ(タブーを犯した弱い心)を祓っているのです。
神さまであっても、あやまちは犯します。
しかし、心の中ですぐにそれを認めたところが神さまなのです。
神話ではあえて説明されていないところですが、
逃げながら、みずからの醜い心と向き合って反省したので、
投げ捨てたものが食べ物になって、みずからを助けたのです。
腐った体の妻をみて、
逃げ出すところは残酷にもみえますが、
弱い心が生み出した、
妻への執着を捨てるという意味の祓いになります。
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三つの桃の祓い
醜女の次には、今度は、雷神が追いかけてきました。
イザナギノミコトは、
十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、ふりながら逃げました。
十拳剣は、男神の神性の象徴のようなものです。
「剣をふる」という動作にも、
「祓い」の意味がこめられています。
雷神は、イザナミの屍から出現した神です。
神性の象徴と、神から生まれた神との対立です。
(十拳剣=男神の神性の象徴/雷神=女神から生まれた神)
イザナギは、イザナミに恥をかかせただけでなく、
一緒に帰りたい気持ちを起こさせて、
それを裏切ってしまいました。
そういう、みずからの罪深さを、
イザナギがあらためて思い知る場面だと思います。
また、イザナミにかわって自分がやらなければならない、
現世での使命のことも、剣をふりながら思ったはずです。
そして、イザナギノミコトは、
黄泉比良坂*2(よもつひらさか)まで来て、
坂本に生えていた桃の木から桃を三つとり、それを投げました。
すると、とうとう黄泉国の軍勢は退散しました。
[*2]黄泉比良坂(よもつひらさか):生者の住む現世と、死者の住む他界(黄泉国)との境目にある坂のこと (※参考URL: https://goo.gl/eo58JF) |
「三つの桃」というのは、
「過去・現在・未来」をあらわしているとされます。
ここで三つの桃を投げるのは、
- 過去に犯してしまったあやまちを振り返って祓い
- 今も気づかずに犯しているかもしれないあやまちを祓って気づき
- 未来で、決してそれらのあやまちを犯さない
という決意をあらわします。
神さまであっても失態はします。
しかし、潔い(いさぎよい)ところが神さまなのです。
イザナギノミコトが伝えたいこと
イザナギノミコトは桃の実にこう言いました。
─「汝れ、吾を助けしが如く、
葦原中国のあらゆるうつしき青人草の、
苦しき瀬に落ちて患へ悩む時助くべし。」
(訳)「おまえが私を助けたように、
葦原の中つ国に生きているあらゆる現世の人間が、
つらい目にあって苦しみ悩んでいる時に助けてほしい。」
そして、桃の実にオオカムツミノ神という神名を与えました。
イザナギも、いとしい妻が死んでつらかったのです。
その妻から逃げ、追われる身になったことも、
さらにつらかったのでしょう。
イザナギにとってしてみれば、
妻を失ったことがあまりに悲しく苦しかったため、
もう一度会って、連れ戻したいと思うのは必然のことです。
しかしそれが、本当に正しい行いなのか、
結果をみないとわからないことが現実にはあります。
苦し紛れにしてしまいがちな、もろもろのこと、
良かれと思って、
知らず知らずのうちにやってしまうエゴイスティックなこと、
ネガティブな思いで思考が偏ってしまう状態など、
大祓いで祓うツミケガレは、そういう心の垢とか、
光を遮(さえぎ)る幕(膜)のようなものです。
人間がつらい目にあって、
本来の道を見失ってしまった時に助けてほしいと、
イザナギが桃の実に言うところは重要です。
どんなに苦しい時でも、みずからの清い心で、
切り抜けることができることを言っているのです。
ここが禊祓いの原点となるポイントだと思います。
ピンチの時に、救いの桃の実が現れやすいように、
日頃から、心身のケガレを祓って、
身を潔く(ミソギ)しておく・・・
そういうことが大切なのです。
イザナミノミコトの愛
最後には、イザナミノミコト自身が追いかけてきました。
そこで、イザナギノミコトは黄泉比良坂に、
千引岩*3(ちびきいわ)をおいて道を塞ぎました。
[*3]千引岩(ちびきいわ)
動かすのに千人力を必要とするような巨石 |
大きな岩を間に挟んで、二神は向き合いました。
─「いとしいわが夫のあなたが、こんなことをなさるなら、
あなたの国の人間を一日に千人殺しましょう。」
とイザナミノミコトが言います。
すると、イザナギノミコトは、
─「いとしいわが妻であるあなたが、そのようなことをなさるなら、
私は一日に千五百の産屋*4をたてましょう。」
[*4] 産屋:産屋(うぶや)は、女性が出産するための部屋、別棟の家 |
と言いました。
これが、人間の生死の起源だということです。
いっけん、二神がケンカ別れしたようにみえます。
しかし、イザナギが最後、
桃の実で三世(現在・過去・未来)のケガレを祓ったから、
イザナミが出てきたのです。
一日に千人殺すというイザナミの嚇(おど)しも、
「死(悲しみ)」よりも、
「生(喜び)」をより多く生みだそう、 という決意を、
イザナギに固めさせるものだったのです。
穢れ(ケガレ)の語源は、「気枯れ」です。
生命力が弱まって、非生産的な状態をいうのです。
ケガレを祓うということは、心身をリフレッシュして、
あらたな生命力をよみがえらせることをいいます。
まさしく、「黄泉がえり」(よみがえり)です。
まとめ
禊と祓の起源は、黄泉国の神話にあったということ。
そして、自分が犯した過ちにより何かに追われたとき、
自分の身につけていた穢れを祓い捨てることで、
自らを清め、新たな生命力を蘇らせて、
ピンチを脱出できることについて説明しました。
日本神話というのは、とても奥が深いものですね。
自分自身の穢れを祓い、
自らを助けて新たな生命力で毎日を送りたいものです。
お祓いの神はどんな神?祓戸大神は四神?その役割は?
年越の大祓いとは?禊と祓いの違いは?お勧めの神社は?
参考 『古事記(上)』全訳注 次田真幸 講談社学術文庫
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