2017年8月からようやく再始動した東方神起のデュオ!今までの紆余曲折もありましたが、彼らの今後の活躍を期待して、東方神起のデビューから今日に至るまでの流れをまとめたものをご紹介します。
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東方神起の名前の由来
「東方神起」という名前がちょっと変わってるなと、思われた方はいたはずです。
この名前の意味ですが、「東方の神が起きる」という意味になり、アジア全域から世界にその名前が知られるようになるグループとして「東方神起」と名前が付けられました。漢字が通用する韓国、中国、日本から、世界に広く知られるグループが誕生するという願いが込められています。
東方神起のデビューから日本・世界で絶頂期へ至る道
まず、東方神起のメンバーがどのようにして選ばれたのかについて紹介します。
東方神起の結成
所属事務所はレコード会社兼芸能事務所のSMエンターテイメント(以下、SMと省略)です。
韓国アイドル界では、役割分担制が一般的でしたが、それをやめて、メンバーの1人1人がメイン・ボーカルが出来る「アカペラ・ダンス」というスタイルのバンドを作る企画を、2003年にSMエンターテイメントがたてました。
そして、
2003年、SMはソロや別のグループのメインボーカルを務める予定であったユンホ、チャンミン、ジェジュン、ジュンス、ユチョンの5人を選抜し、東方神起を結成しました。
【メンバーのプロフィール情報】
- ユンホ(ユノ・ユンホ/ U-Know Yunho)
本名:チョン・ユンホ
リーダー(結成時から)、ローパート・ラップ担当- ヨンウン・ジェジュン(メインパート担当)
- チャンミン(マックス、チェガン・チャンミン/ Max Changmin)
本名:シム・チャンミン、ハイパート担当- シア・ジュンス(ハイパート担当)
- ミッキー・ユチョン(ローパート・ラップ担当)
韓国でデビュー
2004年2月に、「HUG」というシングル曲を出して韓国でデビュー
デビュー曲は『SBS人気歌謡』の「ミュティズンソング」に3週連続で選ばれまた。
そして、2004年末の主要音楽賞でも本賞や歌手賞を受賞。瞬く間に、韓国の音楽界のトップに上がってきました。
TVXQ – Hug, 동방신기(=東方神起) – 허그(=Hug), Music Camp 20040221
提供:MBCkpop
▼提供:Twitter
1/15は
2004年に韓国で「HUG」発売された日。
11年たっても素敵な曲を2人でも歌ってくれて有難う。
これからもずっと歌い続けてください。
私達の前に現れた天使はあの頃と変わらず天使です。#東方神起HUG韓国発売記念日 pic.twitter.com/GG511hCVAw— 🐇(∵)/GJ♡(・x・)우사코 (@Usako0206YK) 2015年1月14日
HUG (International バージヨン)は中京テレビ・日本テレビ系の「サルヂエ」のエンディング・テーマになり、そして、中京テレビ・日本テレビ系「筧利夫&DA PUMPの少年チャンプル」のエンディング・テーマとなりました。
2004年3月に台湾で1stシングルのライセンス盤を発売したのをきっかけとして、海外進出を開始しはじめました。
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40億ウォンを投資して、日本での活動をスタートします。
シングル「Stay With Me Tonight」で日本デビュー
そして
2005年4月に、「Stay With Me Tonight」というシングルで日本デビュー
東方神起 / Stay With Me Tonight
提供:AVEX
Stay With Me Tonightは、テレビ朝日系「草野☆キッド」のエンディング・テーマになりました。
【Stay With Me Tonightの作詞・作曲情報】
- 作詞: 澤本嘉光・小山内舞
- 作曲: 羽岡佳、
- 編曲: Maestro-T
アルバム『RISING SUN』を発表し日本・タイ・マレーシア遠征!
2005年9月に韓国で2ndアルバムの「Rising Sun」を発表しました。日本では、2007年10月24日にライセンス盤が発売されました。
東方神起 / Rising Sun
提供:avex
Rising Sunを発表したあと、すぐに、2005年9月に韓国の競技場「蚕室総合運動場(チャムシルそうごううんどうじょう)」で、5万人以上の観客を集めたのを皮切りに、その後、2006年2月にソウル、2006年5月~6月には日本で初のライブツアー、2007年7月、9月はマレーシアとタイでツアーを行い、大規模なツアーを成功させました。
アルバム『“O”-正・反・合』(オー せい はん ごう)で30万枚超えの売上を記録!
タイ公演のあと、2006年9月29日に、韓国で3集『“O”-正・反・合』(オー せい はん ごう)を発表。このアルバムは年間1位となる30万枚超の売上を記録し、ゴールデンディスク賞で大賞を受賞しました!
東方神起 / “O” -正・反・合
提供:avex
シングル「Purple Line」で初のオリコン1位!
2008年1月にはシングル「Purple Line」で、日本を以外のアジアのグループとして史上初のオリコンチャートの1位を獲得しました。
TVXQ! 동방신기 ‘Purple Line’ MV
提供:SMTOWN
アルバム「MIROTIC」(ミロティック)で韓国凱旋の成功!
2008年9月24日に、アルバム「MIROTIC」(ミロティック)を発売しました。このアルバムは、前作の3集「“O” – 正・反・合」から約2年ぶりのアルバムになります。このころになると、海外での活動が活発になっていて、韓国での活動にブランクがあり、メンバーも不安でしたが、Miroticを引っさげて、韓国初のソウル広場でショーケース・ライブを行い、大成功を収めました。
TVXQ! 동방신기 ‘주문 – MIROTIC’ MV
提供:SMTOWN
日本での受賞、そして、ソロ活動の始まり
このMIROTICを出したあと、東方神起は、日本で2008年末に初の日本レコード大賞ノミネート(優秀作品賞受賞)を獲得し、NHK紅白歌合戦出場をも果たしました!
アルバム「The Secret Code」リリース
2009年3月には、アルバム『The Secret Code』をリリースし、この作品では、日本レコード協会からプラチナ認定を受けて大ヒットへとつながりました。
東方神起 / DVD “4th LIVE TOUR 2009 ~The Secret Code~ FINAL in TOKYO DOME” Digest
提供:avex
2009年7月には、東京ドーム公演を2日連続で開催し成功させました。
この合間をぬって、海外でも、2009年2月からソウル、タイ、中国でアジアツアーを行いました。
このほかにも、2008年末にジェジュンが単独で主演映画の撮影を行いました。また、2009年7月には、ユンホやチャンミンも韓国でテレビドラマに主演で出ることになるなど、ソロ活動も本格的に動き始めました。
東方神起の訴訟問題!分裂騒動!そして専属契約停止!
東方神起は、2003年にデビューをしてから、2009年にオリコン年間ランキング3位にまで達するまで、5人の人気は絶頂に達していましたが、2008年ごろから個人単独での映画やテレビなどへの主演などが始まってきて、「単独で何かビジネスをはじめたい」、という機運が漂っていたのではないかと推測されます。
ちょうどそのころ、2009年に、ジェジュン、ユチョン、ジュンスは化粧品事業を開始しましたが、ここからSMとの間で問題がこじれてしまいました。
SM側は、東方神起の肖像権などを契約に反する形で化粧品事業に利用している事などを指摘しましたが、3人の方は、SMとの契約が不当なものであること自体に問題があるとし、裁判に発展しました。
2009年7月に、東方神起の3人は弁護士を介してSMへ「専属契約の効力停止仮処分申請」を提訴し、
10月27日には、裁判所は、「本訴訟の判決が宣告されるまでの間」専属契約の効力を停止するという判決を下しました。
それ以降、事実上、東方神起は活動停止状態になってしまいました・・・。
東方神起の訴訟問題について更に詳しい内容を知りたい方は、こちらをご覧くださいね。
→「東方神起の分裂騒動の真相は?化粧品事業をした3人の言い分は?」
(※この記事は、Part2に続きます。)
まとめ
この記事では、東方神起の名前の由来から、結成時の新しい企画、韓国と日本でのデビュー、東方神起の三人のメンバーによる訴訟が原因で無期限休止になったことなどをご紹介しました。
次の記事では、東方神起デュオとしてカムバック、兵役のため活動休止、そして、活動再開、ツアーなどについてご紹介しますね!
「東方神起デュオデビューからRebootまで!ツアー情報は?」に続く〜
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